2009/11/24

脳と創造性 


2005/07のレビュー再掲。
2009年時点で、最近はメディアに露出しすぎて賛否両論ある氏ですが、面白い本です。

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茂木健一郎氏の「脳と創造性」を読みました。脳科学者にして、Sony CSL Senior Researcher。クオリア(感覚を特徴づける質感)の研究をしており、それがSONYの高級製品群(250万のプロジェクタや40万のデジカメ etc...)のブランド名"QUALIA”になったり、Yomiuri Weeklyに記事書いたりしていたり。養老孟司つながりでメディアの露出が多くなっている気もします。

本題。「脳と創造性」の話。全体としては、コンピュータの非創造性を引き合いに出しながら、読者に創造性は一握りの天才だけのものではないという認識をさせ、創造性の脱神話化→情報社会における創造性の模索→生命の躍動(エラン・ヴィタール)への還元が為されていきます。文体は平坦、至極読みやすく、頷ける箇所多数です。

付箋マニアの私としては、久しぶりに付箋だらけになる本でした。

今日はその中から一つ。
【西田幾太郎にとって、あの東山を下る道が「哲学の道」だったのは、その景観に哲学を考えさせる特別な性質があったからではない。そこが毎日のように歩いていて、見慣れた道であったという事が最も重要な要素である。(P213)】
哲学の道、有名ですね。

確かに、見慣れた道を歩いている時が考え事に適しているというのは分かる気がしますね。じーっと机に座って唸っている時よりも、駅から家に向かって歩いている時の方が、仕事における課題解決の糸口が見つかったりしますし。

ただ、自分の場合、道と同じ位大きな要素として、音があります。一人で移動する時は、常にiPODが共におりますが、公共空間の中における ”自分が意図しないオト”を遮断し、予定調和の”音的個人空間”を提供してくれます。Underworldのborn slippyがその最たる曲だったりするのですが、曲を知らない人からしたら、爆音以外の何のもでもないですもんね。これは西田幾太郎が生きた時代では不可能で、現代に生きている特権。

「ウォークマンの発明によって公共空間における公的/私的の境界が曖昧になった」といった論調のメディア論があって(確かに一理ある)、マイナス効果ばかりが取り上げられたりしますが、個人的には上記を例として、プラスの効果も確実にあると思ってます、はい。

*浪費癖者のつぶやき
 完璧な個人空間を創りだすには、遮音性に優れたヘッドフォンが必要な訳で、B&OのA8が断線してしまった今、狙うは高域と低域独立駆動/2ウェイ方式のShure E5cだったりするのですが、みくり貧乏な私にとっては、どうするのがいい事やら。あ、でもこんなイイもの買ったら、今まで聞こえていなかった音楽のディテールが聞こえすぎて、音自体に感動して考え事には向かないかなぁ。。。いろんなレビュー見るとどこも絶賛だし。。。ぶつぶつぶつ。。。
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