2010/08/13

What I wish I knew When I was 20.

ティナ・シーリグ
阪急コミュニケーションズ
発売日:2010-03-10

数ヶ月前から本屋で平積み & ランキング上位になっていたものの、タイトルと帯コメントから受ける印象が「いわゆるベタな自己啓発本」的で敬遠していた。

*帯には「いくつになっても人生は変えられる」「この世界に自分の居場所をつくるために必要なこと」と書かれているのです。。。

が、ふとしたタイミングで立ち読みしたら、良い意味で裏切られたので購入。一気に読めたし、久しぶりに付箋たくさん付けることになった。

著者は、スタンフォードでアントレプレナーセンターのディレクター職にある Tina Seelig。全編に渡って「価値創造のマインド」「既存枠を一歩踏み出す有意性」などが語られる。これらは起業家には特に必要とされる考え方ではあるが、しかし決して起業家だけに求められることを述べている訳ではない。言葉にすることで安っぽく聞こえる事を恐れず言えば、「自己にとっての充実した人生」を実現するために必要な事が述べられている。

*あれ、感想が帯コメントに似てきた・・・

全体的に”元気になる”文章であり、自分が将来、何か新しいことへチャレンジする前に読み返したい。中でも、以下の一文は意思決定に迷ったとき、自分に問いかける言葉として残しておきたい。
判断に迷ったときは、将来そのときのことをどう話したいかを考えれば良い。将来、胸を張ってはなせるように、いま物語を紡ぐのです。 P167 

この他にも、付箋つけたところは以下。なお、マークした箇所の半分くらいはTina自身の言葉ではなく、実際の起業家たちの言葉やエピソード。スタンフォードの地理的・経済的特性から、ベンチャー魂にまつわる話題には事欠かない。
社会に出たら、有能な教師が道を示してくれるわけではないのだから、君たちはできの悪い教師の授業を取りなさい P22

特徴がはっきりしたニーズこそ、発明の素 P32
ニーズを掘り起こすのに必要なのは、世の中のギャップを見つけ、それを埋める事 P34

起業家精神とは、世の中にはチャンスが転がっていると見る事 P41
カネを稼ぐよりも、意義を見つける方がいい P41

出来るだけ大きく考える。小さな目標を決めるよりも、大きな目標を掲げた方が楽な事が多い P47
マイクロソフトのような企業が導入しているビジネスプロセスには拡張性があります。つまり、組織横断的な大きなグループで作業をするようになっています。 ですが、拡張可能なプロセスは、必ずしも効率的ではありません。火急の問題があり、突貫工事が必要な時、官僚制を打ち破らなくてはならない。通常の業務と は切り離して、特別チームを編成し、ルールを破る事を認め、自由な発想や働き方を認めているのです。 P62
ルールを1000個学んだ人と、やってはならない事を3つ学んで後は自分次第という人 P64

誰かがチャンスをくれるのを待つのではなく、自分でつかみに行った方が良い面がたくさんあります P72

リーダーになろうと思ったら、リーダーとしての役割を引き受けることです。ただ自分に許可を与えればいいのです。組織の中に穴がないか探す。自分が欲しいものを求める。自分のスキルと経験を活かせる方法を見つける。いち早く動こうとする。過去の実績を乗り越える。チャンスはつねにあり、見つけられるのを待っています。誰かに声をかけられるのを待ちながら、慎重に様子を見るのではなく、チャンスはつかみにいくものです。がむしゃらに働かなければならないし、エネルギーも使います。意欲も必要です。でも、これこそがリーダーをリーダーたらしめている資質であり、指示待ちの一般人とは違っているところなのです。 P86

バカな失敗ではなく、賢い失敗を評価すべきなのだ。クリエイティブな組織をつくりたいのであれば、何もしないことは最悪の類いの失敗だ。想像力は行動から生まれる。何もしなければ何も生まれない。 P110

情熱とスキルと市場が重なり合うところ、それがスウィートスポットだ。 P121

生きることの達人は、仕事と遊び、労働と余暇、心と体、教育と娯楽、愛と宗教の区別をつけない。何をやるにしろ、その道で卓越していることを目指す。仕事か遊びかは周りが決めてくれる。当人にとっては、つねに仕事であり遊びでもあるのだ。 P122

自分のキャリアは、フロントガラスではなくバックミラーで見ると辻褄が合っている。 P131

P169〜の交渉力の話

もっとも優秀な人間(矢)を選んで、その人が得意なことに近い仕事(=的)をつくる。 P180

賢明な人たちが陥りがちな落とし穴。「正しい行為」ではなく「賢明な行為」を正当化する。 P181

競争が好きなのと目標達成の意欲が強いのとでは、大きな違いがある。競争好きとは、ゼロサムゲームの中で誰かの犠牲と引き換えに成功することを意味します。これに対し、目標達成の意欲が強い人は、自分自身の情熱を掻き立てて事をおこすのです。P197

後半、正義の話が出てきて、米国大学講義本つながりだが、これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学に関連する話題があるのも面白い。

2010/08/08

ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール  吉原真里

吉原 真里
アルテスパブリッシング
発売日:2010-06-25

テキサスの真ん中、西部の始まりの街フォートワースで4年に一度行われる国際ピアノコンクールを追ったドキュメント。ニュースでも報道されていた通り、2009年は辻井さんとハオチェン・チャンの優勝(*)で幕を閉じたわけだけど、本書は「日本人初優勝」という話題ありきの企画もの取材ではないため、中身が濃い。
  1. 地域コミュニティとアートイベントのパッケージ手法
  2. 主催者・出場者などへのインタビューが充実

■地域コミュニティとアートイベントのパッケージ手法
フォートワースは元々、ウエスタンなカウボーイの街。場所はこんな位置。

大きな地図で見る
 元々ピアノとは全く無関係のこの地で、何故これほどまでの国際的なピアノコンクールが成功しているかが、この本を読むと良く分かる。賞金の多さやファイナリストに与えられるマネージメント契約、世界各地でのリサイタル権も一つの要素であるけれど、最大の要素は、地元コミュニティとの繋がりである。
近年(というかいつの時代にも)、アートを地域振興のツールにしようという向きがあって、日本でも直島のように成功例も出てきているが、ここでもおじいちゃん・おばあちゃんをはじめとした、地元民が積極的にコミットしていると聞く(おにぎり作ったり、来訪者を案内したり)。
フォートワースも、コンクールは3週間に渡って行われるが、その間、出場者とその家族は、地元のホストファミリーの家にステイする事が決まりとなっている。自ずと市民も「自分たちのイベント」という意識が働くから、ホストファミリーにはなれずとも、コンクールのボランティアが1200人(!)も参加しているとの事。
その他にも、地域のイベントとして活性化させるための苦労が記述されており、地域振興のケーススタディとしても興味深く読める。

■主催者・出場者などへのインタビューが充実
クライバーン財団のプログラム監督や、コンクールの審査員、出場者とそのマネージャなど、幅広くインタビューしていて、コンクールの背景や思想、出場者がどのような思いを持っているか等があぶりだされている。
その中でも、とても19歳(2009年時点)とは思えない、ハオチェン・チャンの受け答えがすばらしい。自分の生い立ちからピアニストとしての考え方、曲や他の演奏者に対する意見など、主観と客観のバランス感覚が秀逸。



最後に、審査員に配布されるというハンドブックの序文を引用。コンクールや財団が目指す方向性が明確に示されていて気持ちがいい。
審査員は、コンクールでの演奏中、音楽製、様式的整合性、音楽的高潔性、作曲家の意図の理解、形式的整合性、音色についての感性、個性、創造的イマジネーションなどといった、明らかに考慮すべき点に注意を払うようお願いします。
しかし、それと同時に、審査員は、内なる耳ーそれは、心、または魂と呼ぶべきでしょうかーをもって演奏を聴いてください。つまり、音程やリズム、音量等といったことを超えた(中略)われわれの感情をあふれさせ、われわれの価値観を育んでくれるようなもの、それこそに耳を傾けてほしいのです。
各回のコンクールで真の芸術家を発見できるということは必ずしも想定できませんが、いつの日か真の芸術家になるであろう人物を見きわめることはできるでしょう。審査員は、そうした、偉大なる芸術家としての資質を備え、コンクールによっていくつかの扉を開けられるための準備ができている、非常に特別な音楽家たちを見つけるべく、耳を傾けてください。
忘れてはならないのは、ヴァン・クライバーン財団の機能は、「スター」を発見することではなく、われわれの支援を受けるにふさわしい音楽家に機会を与えることだということです。
審査員は、誰かにとても強力な助けの手を差しのべることが出来る、とても特別な立場にあるのです。これは重大な責任であると同時に、審査員に大きな喜びと満足感をもたらすものであると信じています。P76