2010/02/16

parallel world(s) stories + research

1Q84、アバター、クォンタム・ファミリーズ(QF)。


1Q84だけは2009年6月だったけど、後者2つはここ1ヶ月で観た/読んだ物語。

青豆と天吾、1984年と1Q84年の並行世界。
地球人とナヴィ族の、地球人ジェイクとナヴィ族ジェイクの並行世界。
そして、(1回読んだだけでは)把握しきれないほど交錯しあう家族を巡る並行世界。


東浩紀がQFで書くように、
生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。(中略) 直接法過去と直接法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。
という時代感覚は、決してネガティブな意味ではなく、ポジティブにしっくりくる。
だとすると、

・並行して存在する世界同士が対峙する+物理的存在の2者間を移動する物語(アバター)、
・並行世界を飛び越えて登場人物が一つの世界に同居する物語(QF)、
・登場人物同士は決して出会わない、でも1人称では並行世界を渡る物語(1Q84)

と形はいろいろあれど、マーケティング的に考えたも、この物語たちは必然かも、と思える・・・

・・・ということを考えていた折、週刊朝日の中森明夫 連載に「映画アバターと並行世界的想像力」というコラムがあることをtwitterで知り、普段読まない週刊誌を早速立ち読みしてみた。感想は「自分と同じことを考えてる」という感じ。なんとなく悔しい思いがして、書かないでいたのですが、+αの興味深い記事があった(ので書いている)。


「光合成は量子コンピューティング」:複数箇所に同時存在

小学校時代に習った、あの光合成。あれが、なんと量子物理学的プロセスであるという研究成果がNatureに発表されたとの事。量子コヒーレント=量子重ね合わせ状態=量子力学において確率的に得られる二つの状態がいまだに決定されていない状態。

今まさに何かの意思決定を求められている(A or B)状況で、まだ判断していない時点では、Aと判断した場合の世界と、Bと判断した場合の世界が存在している、という考え方。

以前書いた、理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 の2章や、(まだこのblogでは書いてない)SF小説がリアルになる 量子の新時代 (朝日新書 187) の第1部2章~3章にかけての文章が解りやすい。

身近に生息している植物たちが、我々の想像を超えた現象によって生きているって考えるだけで、わくわくどきどき。

今(2010年)時点の常識から考えたら、突拍子も無い捉え方かもしれないけど、「太陽が動いている」と考えられていた時代に「地球が動いている」なんて想像もされなかったのと同様??? と考えると、真面目にそれアリかも、と思います。

アバターは一般的に、クォンタム・ファミリーズは東浩紀好きにとって、どちらも流行りもの的な感はあるけど、かなりおすすめです。


東 浩紀
新潮社
発売日:2009-12-18

余談:アバターは、IMAXで見た方がいいです。ここのレビューでも、だし、実際見ると3D具合にびっくり。押井守も完敗宣言しちゃってるし、ぜひ。

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